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奈良時代の建築物をもう少し書いてみたかったので
前回の記事の続きです。
この記事を書いた時に、ふと・・・奈良時代って・・・「なんと(710年)美しい平城京」から「なくよ(794年)ウグイス平安京」って覚えてたなぁ~っと思って。
って、ことは奈良が都になってた期間って「84年間」の時代で、よくよく考えたら短いなぁ~っとふと思ったんですね。
その短い期間の奈良時代は、さらに時代を主に2つ分かれ、前期を白鳳時代、そして後期が天平時代になります。
あっ、ちなみに「天平」は「てんぴょう」と読みます。
ついつい、大阪の人だったら一口餃子の発祥の「てんぺい」が同じ漢字なんで・・・そう読んじゃったのは・・・自分だけなのか・・・。
参考(!?)までに☞ひとくち餃子の発祥店「天平」のサイト
話しが変な方向にいきそうなので、元に戻して・・・。
この後期の天平時代の天平文化がどちらかと言うと、華やかな文化。
「令和」の引用元となった万葉集も天平文化のもの。
「84年間」の奈良時代って興味深くなったので前回の薬師寺東塔だけではなく、試験的な内容をもう少し、今回は書いてみます。
薬師寺東塔は白鳳時代
薬師寺東塔は、名前の通り「薬」の神様。
そして、奈良時代の前期となる白鳳時代の建物となります。
センターは、お医者さんの役割をしてくれている薬師寺如来。左右には「日光菩薩」と「月光菩薩」といったいわゆるこちらも文字通りの「日勤・夜勤の看護婦さん」が、薬師寺東塔で24時間体制で私たちの健康を見守ってくれているそうです。
・・・って、先日の面白い法話の中で聞いた話しなんです。
この薬師寺東塔は、天武天皇が奥様の病気が治りますようにっと願って建てられたのがきっかけなんです。
試験には、ここまで出ないけどまぁいいお話しなんで♪。
新薬師寺本堂(屋根形状:入母屋)
前の記事にも書いたのですが、新薬師寺本堂の「新」は「NEW」という意味ではありません。
「あらたかな」っと言う意味で、わかりやすく言うと・・・。
新薬師寺本堂は、奥様(橘夫人)が聖武天皇の病気が「早く」治りますようにっと願って建てられた薬師寺だと言われています。
この「早く治って欲しいなぁ~」とか「すぐにご利益がありますように」っと願ったとイメージしたらいいのかも。
こちらの新薬師寺も、2つの塔があったりたくさんの建物があったのですが、こちらも天災などで、現在の新薬師寺の本堂だけが残り、国宝となっています。
なので、薬師寺東塔と新薬師寺本堂は、建っている場所も離れているし、そもそも別物ととらえておくといいですねっ。
そうっ、この新薬師寺は「切妻屋根」でもない「寄棟屋根」でもないその中間の様な形状をしている「入母屋屋根」となっています。
参考までにこんなイラストも♪。
奈良時代の中でも後期の天平時代であと2つほど屋根を中心に建物を紹介していきますね
法隆寺東院伝法堂(屋根:切妻造屋根)
こちらは、掲載できる写真がなかったので画像検索で確認してみてくださいね。
参考画像☞法隆寺東院伝法堂の参考画像
・・・っと、サクが一級建築士試験において大切なことを言ってくれました(笑)。
唐招提寺金堂(屋根:寄棟屋根)
奈良時代と言えば「遣唐使」って言うのが、中学生の時に習ったなぁ~。
唐(中国)の出身の鑑真が過ごしていたのか、建てたのかわからないけど(笑)・・・屋根は「寄棟屋根」です。
まあ、物理も苦手ですが、歴史もまあまあ苦手で「鑑真」はインド出身の「ガンジー」とは別人だと、ずいぶんと大人になってから知ったんですけどね(笑)。
今回の記事では、3つの天平時代の建物が登場しましたが、ここでもう一度、屋根形状をまとめちゃいますね。
【屋根形状のまとめ】
- 新薬師寺本堂・・・入母屋屋根
- 法隆寺東院伝法堂・・・切妻屋根
- 唐招提寺金堂・・・寄棟屋根
こんな感じかなっ。
では、問題を2問ほどやってみましょうかぁ~。
一級建築士試験の平成17年度の問題①
法隆寺東院伝法堂は、桁行が7間であるが移建前は5間であり、聖武天皇橘夫人の邸宅の一屋を移して建立したものと考えられている。
一級建築士試験の平成17年度の問題②
新薬師寺本堂は、一重、寄棟造りであり、前面1面を吹放しとしている。
おまけ①
薬師寺の中には、お医者さんと日勤と夜勤の看護婦さんだったけど、新薬師寺本堂のお医者さんは、十二体の大きな神将たちがお医者さんをぐるっと守っていると言う、なんともかっこいいんです♪。
おまけ②
じゃあ、少し復習問題(試験に出ていないけど・・・。)
以前、少しだけこの靴みたいな形「鴟尾」ってなんて読むんだっけ?。
今回の天平時代の3つの建物のどれかについています。
気になる方・・・。
の記事を読んでみてね♪。