建物事例

千利休が作った一級建築士試験の問題

千利休

今回の主役の千利休さんの前に足利義政さんについて

前回と、前々回とで世界遺産にも登録されている「金閣寺」・「銀閣寺」の記事を書かせていただきました。

鹿苑寺舎利殿
鹿苑寺舎利殿(ろくおんじしゃりでん)は金閣寺京都の世界遺産「金閣寺」への旅です。 鹿苑寺舎利殿の参考画像 ...
慈照寺観音殿
慈照寺観音殿(じしょうじかんのんでん)は銀閣寺引き続き「銀閣寺」への旅です。 前回の「金閣寺」への旅の続きです。 https://itsunaru.com/kikaku/ ...

銀閣寺の記事の続きのようになってしまうのですが、銀閣寺を建てた足利義政について、もう少し追記をしていきたいと思います。

と言うのも「茶道」を語る上では欠かせない人物なものですので。

8代将軍の足利義政は、将軍としてはもひとつパッとしない方で、天皇からも叱られるほど(笑)。

そして、とうとう家出をしちゃって趣味に没頭したい余り、銀閣寺を作っちゃうんです(笑)。

そして、政治に全く興味がなく「茶道」をして遊ぼうっとなって、豪華メンバーを集めては、お茶の産地当てゲーム(闘茶)なんかしちゃったりして、またそれが流行ったりするもんだから、全国のお茶の生産量が上がっちゃったりして、今だに日本ではお茶を飲む習慣があるそうなんです。

ここから千利休さんの登場です。

そんな、「義政ってすごいよなぁ~」っと思ってあこがれた戦国武将がこの人。

織田信長

↑織田信長さん。

そして信長が引っ張って「茶道」を確立した人が、千利休さん。

千利休

そして、あの有名な本能寺の変で、織田信長が倒れたあと、豊臣秀吉が後継者となって千利休は筆頭茶頭になったんです。

ただね…。最初は仲が良かったんだけど、豊臣秀吉が本当は、大徳寺(←この名前覚えててね、後で出てくるから。)がやらかした事なんで千利休は直接関係ないんだけど、そのことについて千利休に謝れぇ~って言うんだけど、千利休が「謝らんっ!」って言って、切腹して亡くなってしまったんです。

そうなると一気に千利休推しの人たちが茶道を広げていくという訳で…。

そうそう、千利休が最後に茶会をして招待した人は、「徳川家康」とも言われているので、「織田信長」・「豊臣秀吉」・「徳川家康」の三英傑に関わっているってすごいですっ。

お茶が流行って、武将達のステータスみたいになって、あの狭い場所で商人とか武将が集まって密談とかしてたところに千利休がお茶をたててると思ったら、今でいう銀座の会員制クラブみたいなイメージで茶人はさしづめクラブのママって感じだから、茶室も雰囲気が大切ってことになってこだわるんでしょうねぇ~。

3大国宝茶室

…っと言う事で、ここからが(やっと)一級建築士試験っぽく知識の話しを。

まずは、「3大国宝茶室」となっているいる3つから。

待庵(たいあん)

「待庵」は「妙喜庵待庵」で京都の大山崎町で千利休の「わびさび」の「わび」感が出ている二畳の最古の草ぶき屋根の草庵茶室

前振りで書いたけど、千利休から茶道が始まっていくので、この建物は千利休が活躍した16世紀となります。

如庵(じょあん)

で、次は「如庵」ですが、ここからは17世紀の話し。

誰が建てたかというと千利休と最初に遊んでた天下人の織田信長の弟で千利休をリスペクトしていた武将のひとり、織田有楽斎(うらくさい)

こちらは京都の建仁寺にあったんだけど、今は愛知県に移設されているんだけど織田家のゆかりの地だからでしょうね。

広さはほぼ4畳半で、2畳半の畳と1畳の台目畳と床からなる「2畳半台目」と呼ばれています。

特徴としては正面から見えない躙口(にじりぐち)、竹を密に配置して光を微かに通すようにした「有楽窓(うらくまど)」、トップライトっぽい窓をはじめ大小五つの窓があったりします。

そうそう、余談ですが織田有楽斎の住んでた場所って、東京だったらしく今の「有楽町」の名前の由来らしいです。

密庵(みったん)

密庵と書いて「みったん」。

なんだか可愛らしい名前のように思えてきます(笑)。

密庵は、あの最初に出てきた大徳寺にあります。

こちらも千利休が大好きなめっちゃ賢い人の集まりでグループ名が「利休七哲」。

そのグループのひとりに派手好きの古田織部という人の後を継いだ小堀遠州が指導したと言われています。

歌舞伎とかが好きだった派手な感じの古田織部を継いだけどテイストはまた個性を出して明るいイメージの「綺麗さび」とも言われています。

こんな問題が出題されています。

平成27年度の一級建築士試験ではこんな出題がされています。

密庵(京都市)は、17世紀に桂離宮の敷地南端に造立された、茅葺寄棟屋根や深い土庇等の農家風の外観をもつ格式にこだわらない自由な造形の茶室である。

答えはバツ

「これは、桂離宮の庭園内にある笑意軒のことだよ。」

もうひとり覚えておきましょう!

この3つの国宝茶室と茶人を抑えるだけでも茶室建築はわかりやすいかなっと思います。

時代の流れからもわかるように小堀遠州はよく出題されていますが、一番近代に近い人なんですよねぇ~。

同じ大徳寺にある弧蓬庵忘筌(こほうあんほうせん)も小堀遠州の作です。

ねっ、さっき覚えててねっと書いた「大徳寺」のことです。

サク
サク
堀の”こ”は、独の”こ”っと「こ」繋がりで覚えておくと覚えやすいかと思います

まとめ

こうやって千利休の事を大好きな人たちが色々な茶室を作っているのですが、それぞれテイストが違うのは千利休が「人と違うことをしなさいっ!」という教えがあったことから、こうやって色々な特徴のある茶室ができ…平成の世になっていい問題として出来上がったのかなとつい考えてしまいました。