建築士試験の勉強法

狭小住宅がキーワードの住宅~増沢洵自邸・塔の家~

前回の記事の続きです。

前回の記事「狭小住宅」の続きです。

☞前回の記事狭小住宅がキーワードの住宅(1)

前回は、池辺陽の15の「立体最小限住宅」を紹介しました。

がっ・・・。

この15坪が最小限ではなく・・・戦後、時は進み、より最小限の建物が話題となるんです。

それが・・・。

②増沢洵自邸

戦後の極限的小住宅の先駆けとなった木造2階建の住宅。

「最小限住居」という本の著者でもあります。

こちらの自邸は15坪を上回って9坪っ!。

もちろん、前回の記事に書いた狭小住宅のキーワードの吹抜けもあるんです。

まぁ、いわゆる「9坪ハウス」の先駆けとなる訳なんですが・・・。

建築士の試験での知識はこのくらいでいいんですが、この増沢洵自邸・・・。

数年後には、家族が増えて吹抜け部分には床を張って増床し、その後事務所をするために玄関を増築し、そして物置を増築したり・・・環境の変化と共に増築をしていったそうです。

まぁ、きっとこの辺りはあんまり覚えなくていいところなので余談ですけどね(笑)。

さっ、問題でもしてみましょうかぁ~♪。

増沢洵邸についての過去問題にチャレンジ

平成24年度の一級建築士の問題です。

増沢洵邸(1952年)は、戦後の極限的小住宅の先駆けとなった事例であり、1階の鉄筋コンクリート造のコアの上の木造部分に、最小限必要な要素を収めた住宅である。

サクラ
あれっ?。鉄筋コンクリート造・・・?。
サク
そうだったね。木造2階建てだったよね。なのでこの枝は×バツだよね♪

次の紹介する狭小住宅は・・・?。

建築士試験に出題される「狭小住宅」はまだまだあります。

既に紹介した2つの建物、池辺陽の「立体最小限住宅」と「増沢洵自邸」については、戦後の住宅難と資材不足のために建物の面積が制限されていた時代の中生まれた狭小住宅。

他にもまだありますが、先に「狭小地」に建つ「狭小住宅」をひとつご紹介。

③塔の家/東孝光

大阪府出身の方なんですが、仕事の関係で東京都に自邸を建てました。

めっちゃ都会(渋谷)の中に、不整形な土地(三角形)はなんと坪っ!。

そこに建てた建物の建築面積は、約3.6坪っ!。

まずは、この「塔の家」の設計者は「東孝光」さんだと覚えましょう。

二級建築士試験では、建物と設計者の組み合わせの問題がよく出題されています。

実際に平成21年度の問題では、間違いの枝で出題されていますので、しっかりと覚えておきましょうね。

「塔の家」は、横の広がりには土地が狭小地なので期待できないので、縦に積層(6層)されたRC造りの建物です。

サク
もちろん、狭小住宅のキーワード”吹抜け”もあるよ。

建築士試験としての知識としてはこれくらいでいいかな?。

ではでは、問題をやってみましょう。

塔の家についての過去問題にチャレンジ(二級)

平成26年度の二級建築士の問題です。

塔の家(1966年、東京都)は、都市部の狭い不整形な敷地に対し、住空間は極めて狭いながら垂直方向に積層して広がりを持たせた住宅であり、東孝光が設計した。

サクラ
これはわかったよ♪。マル〇だね。
サク
そう、正解っ!

塔の家についての過去問題にチャレンジ(一級)

一級建築士ではよく出題されているんです。

平成18年度も平成11年度も全く同じ問題で出題されています。

塔の家(東孝光)は、小面積で不整形な敷地条件に対し、住空間を機能別に積層して構成した都市住宅である。

サク
こちらも正しい枝なのでマル〇です。

まとめ

今回は、2つの狭小住宅をご紹介しました。

②【増沢洵自邸】

  • 9坪の木造2階建て住宅

③【塔の家(東孝光自邸)】

  • 不整形な敷地
  • 積層(6層)のRC造り

次回の予告

戦後の狭小住宅は他にも紹介したいのがあったのですが、まずはこちらの「塔の家」を紹介してから話しを広げたかったんです。

・・・すぐに話しが広がっちゃうもんで・・・(苦笑)。

なので、もう少し「狭小住宅」の記事にお付き合いのほどよろしくお願いします。

余談な話し・・・。

今回の塔の家の東孝光さんって、平成15年に肺炎でお亡くなりになっているんです。

確か一級建築士の試験には平成8年に初めて出題されたんと違うかなぁ~。

ご自身の建てた建物・・・しかも自邸が建築士の問題になるってすごいなぁ~っと、しみじみと思ってしまいました。